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だれでもトイレのネーミングにモヤっとするのはなぜか → ×

by Katsumi TAZUKE

ハンデキャップを持った人や高齢者、妊婦の方などにも配慮して利用しやすくしたトイレが増えています。そのこと自体は素晴らしいことで、何がしかのハンデを持った方に使いやすいことは、一般の人にも使いやすいということです。名前の通り「専用」ではなく、確かに「だれでも」なのですが、このネーミングに心情的な部分でなぜか違和感を感じています。

だれでもトイレのサイン
だれでもトイレのサイン

引っかかるのは、名前のついていない従来型のトイレはなんだったのかという点に遡ります。普通のトイレは「残念ながら誰もが快適に使えるわけではないが、現状の社会のコストパフォーマンスを考えると、多数の人がとりあえず使える発展途上のトイレ」であることを実感させられるからでしょうか。

現代の技術水準、社会の成熟度なら、むしろバリアフリーでアクセシビリティの高い「だれでもトイレ」が普通のトイレなのです。

であれば、「だれでもトイレ」の名前をつけず、従来型のトイレに「残念ながら誰もが快適に使えるわけではないが、現状の社会のコストパフォーマンスを考えると、多数の人がとりあえず使える発展途上のトイレ」の名前をつけるのが本来なのかも知れないと感じてしまいました。

また、多数の人が使うことができる「だれでもトイレ」なのに、ハンデを持たない人が「だれでもトイレ」を占有してしまうことなく、必要としている方に優先されるようにしなければならないという、「優先席」を巡るマナーの問題も、この違和感に関連していると思われます。

ネーミング違和感の理由には、これ以外のことも含まれていると思いますが、まだ言語化できないので、次の機会に譲りたいと思います。


Katsumi TAZUKE
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